現在も私はいわゆる「喘息持ち」であることには間違いないですが、慢性的な喘息とまでは言えません。
かかりつけの医師のことば(中学当時)を借りれば「固まった」ということでしたが、そのイメージはできたとしても、具体的には何を意味しているのかがイマイチよくわかりませんでした。
しかし当時の喘息は、厳密な意味で「慢性」とは言えないかもしれません。
しかし、少し運動をするとすぐに呼吸が苦しくなり、それでもかなり活発な小学生だった私は、放課後の遊びなどで無理をすると、すぐに喘鳴(ぜんめい、ぜいめい。気管のゼーゼー)を発症して軽い呼吸困難に陥ってしまうのでした。
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全力疾走で喘鳴
基本的に学校の体育の授業くらいであればそれほど問題は生じませんでしたが、友だちと放課後に校庭でする鬼ごっこのような遊びでは、全力疾走を繰り返すという暴れぶりだったため、特に冬場の乾燥する時期には、
となって、その日の夜中は咳がひどくて眠れないようなケースも少なくありませんでした。
ただ、当時の記憶とすれば、呼吸困難というよりも、咳がひどい苦しさから眠ることができなかったという思い出があります。
漢方薬のほうは、あまり効果がなかったという判断から、小学校3年生くらいまででもうやめてしまったのです。
私の慢性的な(激しい運動のあとに呼吸が苦しくなる)喘息という意味では、小学校5年生くらいからかなり沈静化してきていました。
今にして思えば、もしかしたらそれが漢方薬の効果だったのかもしれないという気がしないでもありません。
喘息とカゼ
運動がとにかく好きだった私は、小さいころから友だちと野球を始めた関係で、中学生になってからは学校の部活で、一番厳しいと言われた野球部に入部しました。
野球部の練習は、小学校のころ遊んでいた鬼ごっことは比較にならない苦しく厳しいものでしたが、しかしそうした運動によって喘息を発症するケースは大幅に少なくなっていました。
ちなみに高校でも野球を続け、中学の練習とは比べ物にならない厳しい訓練や試合を重ねても、ほとんど喘息を発症することはありませんでした。
ただ、やはり幼いころから気管および気管支を酷使した影響からか、中学生くらいまでは非常にカゼをひきやすく、特に小学校の低学年のころは、丸々ひと月休まなければならないくらい症状が悪化しやすかったというのが私の体質でした。
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高学年になって
さすがに高学年になると、「学校を休みたくない」という意識からか、欠席数自体は大幅に減少しました。
しかし実際、カゼをひく頻度は他者よりも圧倒的に多く、その状態でも欠席を最小限にとどめようとした結果、カゼによって発症した喘息がいつまでも長引いてしまうということは数多くあり、その意味では幼少時よりもむしろ
のではないかという気がします。
あまりにひどくなってしまうと、病院に行って薬をもらってもなかなか効果が見られず、かかりつけの医師には
とこっぴどく叱られたくらい悪化してしまったことも何度かありました。
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